
会社が自己株式を取得する方法には、いくつかの手続があります。その中で、会社法160条は、特定株主のみを対象とする形で株式を買い取る――いわゆる「相対取得」と呼ばれるやり方を定めている点で大きな特徴があります。
通常は156条~159条における一般的な自己株式取得手続きを踏むことが多いのですが、160条は「特定の株主」を指定し、そこだけから自己株式を取得することを株主総会で決議できる仕組みを設けています。
もっとも、他の株主を排除して有利な条件で買い取るような弊害が生まれないよう、会社法160条2・3項には「売主追加請求権」という制度が定められており、他の株主が希望すれば特定株主に“追加”されて一緒に売却できる可能性が生まれます。さらに、160条4項では「特定株主は当該議案に議決権を行使できない」といった公正性を確保する規定も存在します。
本記事では、会社法160条の条文構造を概観するとともに、相対取得と売主追加請求権の実務フローや、ほかの条文(161~164条)との関連などをわかりやすく解説していきます。中小企業や新人法務担当者が、実際に特定株主だけから株式を買い取る場面で何を気をつければよいか、参考にしていただければ幸いです。
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会社法160条の概要
会社法160条の位置づけと趣旨
会社法160条は、自己株式取得手続きを規定する条文の1つです。
- 156条~159条では、株主全体に広く「株式を譲渡してほしい」と勧誘する場合の一般的な買い取り手続きを中心に規定しています。
- 160条は、その例外として「特定の株主」にのみ通知し、株式を買い取ることを株主総会特別決議(309条2項2号)によって決定する方法を認めています。
会社法160条は条文構成上は156条による取得手続の例外ですが、実務的によく行われる相対での自己株取得(相対取得)における原則的な条文です。そのため、実務的には重要な意義を有します。
相対取得は他の株主の売却機会を完全に奪ってしまう恐れがあるため、後述の「売主追加請求権」によって公正性を確保しています。これが160条の大きな特色です。
特定株主からの取得はなぜ必要か
会社が株主の全員ではなく一部からだけ株式を買い取るニーズとしては、たとえば以下のような場面が想定されます。
- 閉鎖会社で外部株主が少数だけ存在する場合
その外部株主だけとの間で株式を買い取ってもらい、経営陣や関係者で株主構成を固めたい。 - 特定の大株主と交渉して経営権を安定化したい
反対株主・グリーンメイラーなどを排除するケース。 - 相続株式を取得したい
※もっとも相続株式については162条の特則があるので、そちらが適用されることも多いです。
ただし、一部株主との直接交渉(相対取引)は、不平等が生じやすいです。そこで会社法160条は、特定株主だけを定める決議には特別決議を要求し、さらに売主追加請求権という仕組みを導入することで、他の株主も「自分も売りたい場合は参加できる」道を一定程度残しています。
会社法160条1項:特定株主を定める株主総会決議
会社法160条1項は、「株式会社は、156条1項に定める事項(取得総額など)の決定に併せて、特定の株主に対してのみ158条1項の通知を行う旨を株主総会で決議できる」と定めています。
ここでの決議は特別決議(309条2項2号)です。通常の自己株式取得(156条1項)であれば、取締役会設置会社であれば取締役会決議で足りるケースもあります(459条1項1号の場合)が、特定株主だけの相対取得では“他の株主にも影響が大きい”ため、株主総会の特別決議を要すると考えられます。
- 定足数や議決権要件
- 特別決議=議決権を行使できる株主の議決権の過半数が出席し、その出席株主の2/3以上の賛成が必要。
- 特定株主の議決権行使
- 後述の160条4項により、特定株主は議決権を行使できず、定足数の分母にも算入されません。
このように、特定株主の氏名または名称を議案として明示し、その株式の取得を行うことが決議されるのが160条1項のポイントです。
売主追加請求権とは?
相対取得では、特定の株主だけを対象にしてしまうと「自分も同じ条件で売りたかった」という他の株主を不利に扱うリスクがあります。そこで、160条2・3項は売主追加請求権という制度を置き、他の株主が“自分も売主に追加してほしい”と請求できる仕組みを整えています。
具体的には、「会社が特定株主だけから買い取る」方針を株主総会の議案にするとき、事前に他株主へ通知し、株主が一定期間内(通常、株主総会の5日前または3日前)に「私も売主として加えてくれ」という請求をすれば、その請求を踏まえて“特定株主”の範囲が拡大され、株主総会の議案が修正されるわけです。
売主追加請求の実務手続
売主追加請求権は、法律上ざっくりと規定されていますが、実際には会社法施行規則により詳細な期限や通知方法が定められています。以下では、実務フローをイメージしやすいようにまとめます。
株主総会開催までの流れ
- 156条の決議(自己株式取得の授権)との連動
- まず「いつまでに何株をいくらで買い取るか」という大枠を株主総会(or取締役会)で決議する(156条)。
- そのタイミングで「特定株主から取得する」旨の160条1項決議をあわせて行う。
- 招集通知発出とあわせた売主追加請求通知
- 160条2項によれば、法務省令で定める時までに「あなた(他の株主)も売主追加請求できますよ」という通知を行う必要がある。
- 会社則28条では、“株主総会の日の2週間前”など、一定の期限が定められている。
- 他の株主が“売主追加請求”を行う期限
- 原則として株主総会の日の5日前(公開会社でない場合は3日前までなど、会社則29条に特則がある)に請求を行う。
- 期限までに請求した株主は「特定株主」に加えられ、議案が修正される。
修正議案と議決権行使
仮に他の株主から追加請求が出た場合、株主総会の当日に修正議案が提示されることもあります。そうなると、事前に書面や電子投票で議決権行使した株主の扱いが問題になるため、委任状を徴収するか、議決権行使書面で修正議案への賛否も記載させるなど実務的配慮が必要です。
- 160条4項の議決権制限
- 「第1項の特定株主は、その株主総会で議決権を行使できない」とされています。
- 特定株主が複数にわたる場合(売主追加請求で加わった株主を含む)でも同様に制限される。
- 全株主が特定株主となるような場合(全員が一様に取得対象)には例外として議決権を行使できるケースもあると解されます(4項ただし書)。
追加請求がない場合
他の株主から請求が出なければ、そのまま最初に想定していた特定株主だけから株式を買い取る手続に進みます。会社は158条の通知を特定株主にのみ行い(160条5項により、158条1項の「株主」を「特定株主」と読み替える)、特定株主が159条の譲渡申込みを行って買い取り契約が成立するわけです。
他の条文との関係:161~164条
160条では「売主追加請求権」を原則として保障しますが、会社法161条から164条にかけては例外的に追加請求を排除できる場面が規定されています。具体的には次のようなケースです。
161条:市場価格がある株式を、市場価格以下で取得する場合
自己株式を市場価格以下で取得する場合、他の株主も同じ条件(もしくはそれ以上の価格)で市場へ売却できるため、不平等が生じにくいと考えられます。結果的に、売主追加請求を認めなくても株主全体の利益を害する恐れが小さいという趣旨です。
162条:相続人その他の一般承継人から取得する場合
相続や合併消滅会社からの承継株式など、一般承継による株式取得の場合には、会社は特定人とだけ取引しやすくする要請が強いので、売主追加請求権を排除できるとされています。
とりわけ閉鎖会社において、相続人を通じて外部の株主が入り込むリスクを避けることは重要なため、こうした例外規定が設けられています。
163条:子会社からの取得
子会社が保有する親会社株式を親会社が取得する場合、156条による決議は取締役会のみで足りるなど(163条)、そもそも160条の手続全般が適用されません。子会社が保有してしまった株式を整理するために素早く対応する意義があるからです。
164条:定款の定めで売主追加請求を排除
定款で「会社法160条2・3項を適用しない」旨を定めることが認められています。これにより、当初から「特定株主」以外は追加で売りに出せない仕組みにできるわけです。ただし、定款変更に全株主の同意が必要(164条2項)なので、現実的にこうした定款規定を新設するには相当のハードルがあります。
会社法160条違反の効果と責任
特別決議違反・売主追加請求無視のリスク
160条は、他の株主の保護のために売主追加請求権の通知・請求機会を確保しており、特別決議を経る必要もあります。ここを怠ると、取得自体が無効になり得ます。
財源規制との関連
もちろん、相対取得であっても財源規制(461条)を超えて取得できるわけではありません。
- 分配可能額を超えて自己株式を買い取ると、違法配当と同視され無効になり、取締役の任務懈怠責任(423条1項)や刑事罰(963条5項1号)に問われるリスクも否定できません。
- 違法取得の場合、会社は当該取得行為を無効と主張して株式と対価の返還を求めることができると解されるのが通説です。
取締役の責任
- 取締役の任務懈怠責任(423条1項)
- 違法な相対取得を主導した取締役は会社に対して損害賠償義務を負う可能性があります。
- 刑事罰(963条5項1号等)
- 「何人の名義をもってするかを問わず、株式会社の計算において不正にその株式を取得したとき」は刑事罰の対象になる旨が規定されています。
会社法160条の実務活用例・注意点
閉鎖会社での株主構成調整
ケース:閉鎖会社Aでは、オーナー経営者が外部に多少株式を譲渡してしまったが、その外部株主が経営参加に興味をなくしている。オーナーとしては、外部株主だけから自己株式を取得したいが、他の株主(従業員株主など)には通知を出さない方法を検討している。
- ポイント:
- 160条に基づき「外部株主のみ」を特定株主として株主総会特別決議を行う。
- 他の株主も追加請求できるよう事前に通知する。
- 請求がなければ外部株主だけ買い取る手続を進める。
- 分配可能額や手続瑕疵に注意しながら実施すれば、株主構成を円滑に整理可能。
グリーンメイラー対策
ケース:上場企業Bで、突然大株主となったグリーンメイラーCが高値で株式を買い取らせようとしている。会社としてはCからのみ相対で株式を買い取り、排除する方法を考えている。
- ポイント:
- 上場企業の場合、金商法上の公開買付(TOB)規制や情報開示ルールとの兼ね合いが必要で、160条の適用に踏み切る際は慎重な検討が必要。
- ただし、会社法の観点では、特定株主としてCを想定し、特別決議を経ることでC株を会社が取得できる仕組みは用意されている。
相続・承継との絡み
相続株式を会社が買い取りたいケースでは、162条を参照することが多いですが、事情により160条による取得を選択する場合もあり得ます。もっとも、非公開会社における相続株式の買取は162条の特則が適用され、売主追加請求権が排除される場合が多いため、160条を使う場面は限定的かもしれません。
まとめ
会社法160条は、自己株式の「相対取得」に関する規定であり、特定株主のみから株式を買い取ることを可能とする一方、売主追加請求権によって他の株主にも機会を保証するという構造になっています。特別決議が必要(309条2項2号)であるうえ、議決権の制限(160条4項)や、法務省令(会社則28~29条)に基づく通知期限など、実務では多くの留意点があります。
- 売主追加請求権の意義
- 公平性と透明性を保ち、特定の株主だけ優遇しないようにする仕組み。
- 会社は事前通知と株主総会議案修正への対応を確実に行う必要がある。
- 違反時のリスク
- 手続を欠いた場合、取得自体が無効となる可能性が高い。
- 取締役責任、財源規制違反リスクも加わるため、注意が必要。
- 161条~164条の例外規定
- 市場価格がある株式を市場価格以下で取得する場合や、相続人・子会社保有株式などは売主追加請求が排除されうる。
- 定款による排除(164条)は株主全員の同意が必要という高いハードルがある。
実務的には、閉鎖会社で特定株主だけから株式を買い取り、経営権を安定化したい場面などで多用されますが、160条の周辺条文や関連する施行規則の存在をきちんと把握しないと、瑕疵があって手続違反となり、最終的にトラブル化する恐れがあります。必ず特別決議を経ること、他の株主への通知を怠らないこと、財源規制を遵守することを押さえておきましょう。
企業法務・顧問弁護士の無料相談実施中
- 2009年 京都大学法学部卒業
- 20011年 京都大学法科大学院修了
- 2011年 司法試験合格
- 2012年 森・濱田松本法律事務所入所
- 2016年 アイシア法律事務所設立